「設計」と「教育」にUnityを導入。東芝エレベータが挑む、建築業界のコミュニケーション変革 ~BIMが抱える課題を解決し、関係者間の「イメージの共有」を円滑化する~

サマリ

1967年の創業以来、昇降機業界を牽引し続けている東芝エレベータ株式会社は、同業他社に先んじて、BIM(Building Information Modelingの略称。3Dの形状情報に加え、材料・部材の仕様や性能など、建物の属性情報を併せ持つ建築情報モデルを構築するシステム)の活用を進めてきました。

建築物の設計業務を大きく変えたBIMではありますが、「利用イメージが付きづらい」といった課題もあります。東芝エレベータでは、BIMが抱える課題を解決するためにUnityを導入し、関係者間でのコミュニケーション改善を目指します。BIMとUnityを組み合わせた設計の検証を進め、実業務への展開が目前に迫っています。

また、同社では据付工事を担当する新入社員研修にVRコンテンツを活用しており、その制作にもUnityが利用されています。

成果

  • Unityを通じて昇降機の設置現場のデジタルツインを制作したことにより、紙の図面やマニュアル、BIMだけでは伝えにくい箇所も表現できるようになった。これにより、顧客はもちろん、社員も現場や製品そのものの理解を深めることができるようになった。
  • 「Pixyz Plugin」によりCADデータなどをスムーズにUnityへ取り込むことができ、開発効率が大きく向上した。
  • Unityで作成した3Dデータの利用がより一層促進されると、ゼネコンや設計会社、あるいはクライアントとのコミュニケーションの品質向上・効率化が進み、工期遅延の解消などが期待できるようになった。

BIMは「イメージの共有」を可能にしたが、課題もある

東芝エレベータは、建設業界の中でも比較的早い時期からBIMに取り組んできました。

BIM(Building Information Modeling)はコンピューター上に作成した建物の3Dデジタルモデルを用いて、設計や施工、維持管理といった建物情報モデルを構築するシステムです。

BIMに取り組むメリットは、設計する昇降機のイメージを共有しやすくするためです。かつて昇降機は「紙とペン」によって設計されてきましたが、そのような手法では建物内のどのような場所に、どのような昇降機が設置されるか、イメージが付きづらいという課題があったからです。

BIMの導入により、建築物の設計事務所やゼネコンなどと昇降機の設置イメージを共有した上で設計を進められるようになりました。BIMは確かに設計を根本的に変えうる手法になり得ましたが、異なる課題も抱えていました。

BIMが抱える「2つの課題」

その課題とは「誰でも気軽に使えるツールではないこと」。BIMを導入するには、専門のエンジニアを採用・育成しなければなりませんが、BIMソフトウエアは機能や種類が多く、習得するのに時間がかかってしまいます。そのため、扱えるエンジニアの数は限定的であり、普及の壁となっていました。

また、「実際の利用イメージを共有しづらい点」も課題の一つです。BIMを活用することで昇降機の設置イメージを共有できるようになりましたが、BIMはオブジェクトの「動き」を表現することはできません。そのため、「エレベーターがいつ、どのようなタイミングで、どのように動くか」までは共有できないのです。

たとえば、複数基のエレベーターを設置する大型建築物では、オペレーションソフトを用いてエレベーターの動きを制御しますが、BIMではそれらのオペレーションを再現し、関係者に伝えられないのです。

Unityを導入し、BIMが抱える課題を解消する

東芝エレベータは、昇降機設計や設置の効率をさらに向上させるべく、BIMが抱える2つの課題を解決する手段を検討していました。そこで着目したのが「ゲーム」です。ゲームには、BIMと同様に3DCGで表現されているものが多いにもかかわらず、多くの人に親しまれていることに突破口があると考えたのです。

そんな折、Unityが産業分野での活用を推進していることを耳にした同社は、ゲームを制作する「ゲームエンジン」であるUnityを設計段階で活用すれば、従来のBIMが抱えている課題を解決できるかもしれないと考え、導入を検討するようになりました。

CADデータの取り込みを大幅に効率化する「Pixyz Plugin」

Unity以外のゲームエンジンも検討されましたが、最終的に同社はUnityを導入。その決め手は「使い勝手のよさ」と「実装のしやすさ」でした。特に、オブジェクトに動きを付ける作業がスムーズに進められることが要因でした。

また、Pixyz Pluginの存在も導入の大きな後押しとなりました。Pixyz Pluginは、さまざまな種類のCADファイルをUnityにシームレスにインポートし、動的な既製アセットに変換。リアルタイムアプリケーションに利用することを可能にします。多様なCADデータを活用する昇降機設計においても有用な機能だったのです。

かつて、CADデータをBIMに落とし込むためには、4〜5回ほどさまざまな形式をまたぎながらデータを変換する必要があり、かなりの時間を要する作業でした。しかし、Pixyz Pluginを利用することで、さまざまなフォーマットのデータを簡単にUnityに取り込めます。

また、取り込んだデータのカスタマイズも非常に容易です。多少のコーディングでカスタマイズできるため、専門エンジニアも不要。東芝エレベータのように、常に大量の設計を行う企業にとっては、「誰でも簡単にデータをカスタマイズできること」は重要だといいます。

情報が豊富だからこそ、独学での技術習得を進められる

Unityの導入後に行ったのは、Unity社員との協働でエンビジョニングでした。作りたいもののイメージこそあれど、前例のない取り組みだったために、進め方の「正解」がわからなかったためです。

そこで、Unityを用いた制作方針を固めると共に、社内向けのUnity研修を兼ねることになりました。メンバーはUnity未経験者でしたが、Unityのサポートのもとで1週間ほどの研修を受けながら、使い方を学んでいきました。

研修後に独学で技術を高めていった社員の中には、現在はコンテンツ開発担当者を務める人もいます。独学を進める上でも、Unityに関する情報がウェブや参考書など大量にあったことが役立ちました。東芝エレベータは、今後の人材確保においても明るい見通しを持っています。現状では建設業界の企業にはUnityを使えるエンジニアは少なくとも、研修や独学が進めやすい環境があれば、Unityが建築業界で普及していく一助となると考えたのです。

上層部にUnityの価値を伝えるために、制作したコンテンツを体験してもらう

また、建築業界でUnityが広がるためには、各社の決裁権を握る立場にある方々の理解が欠かせません。東芝エレベータでは、ゲームエンジンを導入すること自体に興味を示す役員もいたことで、プロジェクトは前向きに進んでいきました。

ただし、実際の業務に活用することへの承認を得るためには、上層部の認識を「なんとなく面白そう」から「これは使える」に変える必要がありました。そのために、定期的な進捗と成果物の共有を実施。すると、社内の空気は次第に変わり、「現場での活用をいち早く進めよう」という機運が高まりました。

東芝エレベータの事例に学ぶと、前例のないプロジェクトに対する期待値を高めるためには、「実際に体験してもらうこと」がポイントだと言えるでしょう。社内からは「Unityの価値は、体験してもらえば必ずその良さは伝わる。何枚もの稟議書や資料を書いて説明することより、コストパフォーマンスにも優れている」という声も聞かれました。

「Unityは、コミュニケーションツール」

さまざまな試行錯誤を経て完成したのが、昇降機の設計段階で活用するためのシミュレーターです。具体的には、「エレベーター/エスカレーターの意匠性、乗車体験」「エレベーターの昇降路、機械室の確認」「展望用エレベーターの外観確認」コンテンツが制作されました。

実際の運用はこれからとのことですが、PoCを通して完成度は十分に高まっており、現場への投入は間近に迫っています。
プロジェクトを通して、同社は「Unityはコミュニケーションツールである」という体感を得ています。Unityで作成した3Dデータを使えば、ゼネコンや設計会社、あるいはクライアントとのコミュニケーションは確実に変わっていくと手応えを感じています。

「危険な事柄を疑似的に体験してもらう」ためのVRコンテンツ

東芝エレベータがUnityを活用しているのは、設計のフェーズだけではありません。昇降機の据付工事を担当する新入社員向けの教育コンテンツをUnityで制作し、実際の研修で活用しています。

従来の研修では、作業中に発生した危険な事象について、実際に起こった内容や原因を紙に書いて配布し、新入社員に説明していましたが、類似の事象がなくならないという課題を抱えていました。研修担当者は「新入社員が危険性を自分事として捉えられていないから、繰り返されるのではないか」という仮説を立てます。

自分事にするためには「実際に体験してもらうこと」が最も有効な方法ではありますが、当然実際に起こすわけにはいきません。そこで、VRコンテンツは、まさに「危険な事象を擬似的に体験してもらう方法」として提供する構想が生まれました。

特に、運搬作業とその作業中に想定される危険を体験するためのコンテンツを推進中です。据付工事の現場では、専門的な技術を習得していない新入社員は、まず資材を運搬する作業を任されます。実際の運搬作業で起こったことのある事象を擬似的に体験してもらい、発生を未然に防ぐことが狙いです。

2016年ごろにプロジェクトがスタートし、外部の開発パートナーと共にコンテンツを制作。完成したコンテンツは、コントローラーなどを使いながら作業を擬似的に体験し、その中で誤った方法で作業をするとアラートが鳴り、怪我につながることを実感してもらう設計になっています。

Unityを活用して作成された、据付現場教育コンテンツ

2018年には研修での活用をスタートさせ、現在も利用者の声を聞きながらブラッシュアップを重ねています。

「危険な事象の疑似体験」だけではない、副次的な効果

研修にVRコンテンツを導入したところ「仮想空間ではあるものの、実際の現場を知ることで注意すべき点を身をもって学べた」「楽しみながら、それでいて危機感を持って学ぶことができた」といった声が寄せられるようになり、手応えも上々です。

また、据付工事の教育用につくったVRコンテンツは、設計や開発を担当するメンバーに、現場のリアルを伝えるものにも活用できると見込んでいます。東芝エレベータは、設計・製造から、据付、保守まで一貫して事業を展開していますが、設計や開発を担当するメンバーが据付の現場を知る機会は多くありません。VRコンテンツは現場を垣間見て、自らの業務効率化などにつなげるチャンスになる期待が持てます。そこで、他部門へVRゴーグルを貸し出し、コンテンツを体験してもらうことも検討しています。

若手の戦力化を加速させることで、ビジネスに大きなメリットをもたらす

さらに、新たなコンテンツ制作も検討しています。たとえば、複数人で実施することが多い据付工事の現場を想定し、複数人がVRゴーグルを装着して、同一の仮想空間内で協働して工事を進めるコンテンツ。当然、VRゴーグルさえあれば、離れた場所にいるメンバーともコンテンツを共有できるため、離れた場所にある拠点のメンバーとの合同研修なども導入を検討中です。

また、研修のみならず、実際の工事現場での活用も視野に入れています。「Apple Vision Pro」のような空間オペレーティングシステムのデバイスを使えば、画面上に作業の手順や注意点などを表示して、その通りに工事を進めることで作業員のスキルを問わず、効率よく、安全に工事が進められるようにできる、という展望を持っています。

それは、かつての若手メンバーが2Dの設計図を見て、そこに書かれている昇降機を想像し、昇降機のことを理解するのに要した時間を、相当に短縮することが可能になる未来像です。若手メンバーが時間を掛けずに戦力化できる意味でも、VRコンテンツを用いた教育のビジネス上のメリットは大きいと見ています。

建築業界が抱える「コミュニケーション」という課題

今後、Unityは建築業界をいかに変えていくのでしょうか。

一つには、東芝エレベータが抱えていた「顧客の顔が見えづらい」という課題を解消していく助けになります。建物の設計を担当する設計事務所などから、昇降機に関するさまざまな要件を記した書類は届くものの、その先にいる建築物のオーナー、すなわち顧客がどのようなことを期待しているのかが判然とせず、顧客からの期待を設計に落とし込みづらかったのです。建築物の施工を担当するゼネコンもまた、同様の課題を抱えていると考えられます。だからこそ、設計事務所、ゼネコン、東芝エレベータ間で調整を繰り返してきましたが、それによって工期遅れなどの問題が発生していました。建築の現場にはコミュニケーションに関する問題が溢れており、このことが業界全体の大きな課題になっているのです。

そこに、Unityを活用することで建築業界が抱えるコミュニケーションの課題を、全般的に解決していける可能性があります。関係者全員が建物の完成イメージはもちろんのこと、その内部にある昇降機なども含めて、実際にその建物を人が使うイメージを共有できる。そして、社内においても、営業、設計、製造、据付工事など、すべての部署が同じ目線を持つことで、よりハイクオリティな製品を効率的に提供できるからです。

東芝エレベータの実例は、まさにUnityが建築業界を変えていく一端を担えることを教えてくれるものでした。