ゲームやライブなどのエンターテイメント領域だけでなく、VRは多くの分野で活用されています。以前にもUnity Japanのnoteでは、注射シミュレーターなど「動きのシェア」を可能にするVRツール『ナップ』を提供するイマクリエイトさんを取り上げました。
今回紹介するのは、身体が不自由になってきたお年寄りに寄り添うVR体験の開発・研究から始まるストーリーです。
「疑似体験旅行(通称:VR旅行)」を提供している登嶋健太さんは、「VR旅行でお年寄りの心身に与える影響」や「VR体験でお年寄りの幸福な生活づくり」などをテーマに、現在は東京大学で研究を進めています。
2014年に登嶋さんは、介護施設で働く中で感じた課題からVR旅行を発案。お年寄りの「思い出の場所」を撮影するため、日本では35都道府県、世界28ヶ国を巡りました。また、Unityも活用されながら、さまざまなコンテンツを制作しています。
「VRは、高齢者や障がい者が気軽にデジタルに触れるためのきっかけになり、そこから様々な可能性が広がる」と登嶋さんは語ります。多くのお年寄りにVR旅行を提供・研究し、発見したものとは?登嶋さんのこれまでと、VR×福祉の可能性についてもお話を伺いました。
登嶋 健太
東京大学 先端科学技術センター
稲見研究室 所属
1986年、神奈川県横浜市生まれ。高校卒業後、柔道整復師として接骨院に勤務。2012年に高齢者介護施設に転職し、2014年から「福祉×VR」を開始。2017年に総務省異能vationジェネレーションアワードで企業特別賞を受賞。2018年4月から東京大学先端科学技術研究センターで高齢者を対象とするVR Therapyの研究をおこなう。2020年9月に一般社団法人 デジタルステッキを設立。
「草津へ行きたい」お年寄りの願いをVRで体験
──どういった課題からVRを活用し始めたのでしょうか。
登嶋:前職では介護施設でセラピストとして、入居者向けのリハビリテーションを支援していました。その中で、お年寄りのリハビリに対するモチベーションが続きにくい課題と向き合っていたんです。「1年後に何をしたいですか?」と聞いてみると、「近所で買い物がしたい」や「公園に行きたい」といった目標を聞かせてくれるのですが、なかなか強い動機になりにくいようでした。
そこで、「みなさんが行きたいと思った場所」へ出向いて、写真を撮って見せたんです。感謝されることもありましたが、みなさんが「本当に見たいと思っていた場所」とずれてしまうことがあり、静止画の限界を感じました。
当時は2014年頃で、Googleストリートビューが一般化しつつあり、360度写真を目にする機会が増えていました。こういったものを活用すれば、もっとモチベーションを上げられるのではと考えたのです。
──そして出会ったのが、VRだったと。
登嶋:XVI社のGOROmanさんのツイートがきっかけです。当時は、機材一式を買う資金もなく、VRを体験できる場所も少なかったので、GOROmanさんに「Oculus(※)を体験させてください」とお願いしました。
試してみたら、率直に楽しかったんです。機材や設定も今より難しいことも多かったのですが、苦になりませんでしたね。なにより僕自身が楽しんでいることは、一緒に使ってもらう方にも伝わっていくでしょうから。
あとは、上を向いたり下を見たり、後ろを振り向くようにすれば視線を移せますし、デバイス操作が苦手な人でも直感的に使えると感じました。
(※当時の開発者キットOculus Rift DK1のこと。現在Oculusのブランド表記は“Meta”となっている)
──360度映像なら見える範囲も広く、ストリートビューより操作しやすかったわけですね。
登嶋:そうです。そこから、所属していた施設の入居者にVRを体験してもらうための準備に移りました。360度映像が撮れるカメラの「RICOH THETA」をGOROmanさんにお借りして、近所の梅園で撮影を練習しました。
ある女性が「思い出の場所」に挙げた草津では、業務用360度カメラで動画を撮りました。その映像を、ヘッドマウントディスプレイで見てもらったんです。
──初めての「VR旅行」に、どんなリアクションがありましたか?
登嶋:VRを体験するうちに、当時の記憶がハッキリしていくようでした。実は、それまで草津への懐かしい気持ちはあるものの、場所の詳細までは思い出せなかったのです。VRで映像を見ているうちに慣れてきて、それからじわっと思い出が鮮やかになっていく。体験後には、より深いエピソードまで話してくれましたね。
そんな経緯を経て、もっと多くの方に体験してほしいという気持ちも抱くようになり、「VR旅行」としてのプロジェクトが誕生しました。そこで2014年12月にクラウドファンディングを実施。集まった資金をもとに、介護施設の入居者さんの思い出の地を巡りました。
福祉の現場にVR体験を持ち込んで起きた、3つの変化
──実際に、どのような場所へ赴かれたのでしょうか?
登嶋:日本だと35都道府県、世界だと28ヶ国を訪れました。入居者さんにアルバムを見せてもらいながら行き先の選定をしたのですが、海外旅行の経験がある方も多かったのです。アルバムの写真を一つひとつ複写しては、それをもとに世界各国で動画を撮影してきました。
また、海外の映像を日本人に見せるだけでなく、日本の映像を海外で見せるという経験もできました。サンフランシスコの日本人向け介護施設に立ち寄り、日本の風景を見せると、とても喜んでいただけました。今までに1,500人以上にVR旅行を体験してもらっています。
──多くの方々にVR旅行を体験してもらい、どんな発見がありましたか?
登嶋:発見したことは3つあります。1つ目は、体を動かすモチベーションを触発できること。VR旅行を体験していると、「もう少し奥に行ってみたい」など、気になるところが出てきて、そこへ行こうと自然と体が動きます。これは、テレビのように受動的に見るだけではできず、自分の体感と映像が連動するVRならではですね。
2つ目は、入居者の新たな側面を知るきっかけになること。介護施設では入居時にご家族から入居者さんのことを教えてもらう機会があります。でも、それはあくまで一面的な話でしかなく、VR旅行を体験する中で語られる思い出や、「次はどんな場所に行きたいか」といった希望を交えて、普段より深くコミュニケーションできました。
3つ目は、心理状態を把握するツールとして活用できること。たとえば、日常でも足元に不安を覚える方は、VR上でも足元を気にされる様子がありました。VR上の挙動で介護職員やセラピストが入居者さんの心理状態を知る機会になります。また、気分が落ち込んでいる人には、「一緒に空でも見上げてみませんか?」と、動作を促したりもできます。
吹き矢やカヤックもVRで。広がるアクティビティ
──2018年から東京大学の先端科学技術センターにて職員として活動されています。どういった経緯で所属したのでしょうか。
登嶋:クラウドファンディングでの旅を終えて帰国した後、日本バーチャルリアリティ学会でVR旅行について講演させていただく機会をもらいました。そこを主宰された先端科学技術研究センター身体情報学分野にある「稲見研究室」に所属する檜山敦准教授からお誘いを受けて、現職に至ります。
──介護施設から研究室の活動になり、変わったことはありますか?
登嶋:一つは、最先端の情報に触れられることです。VR旅行を始めた頃、欲しい情報はTwitterにしかありませんでした。これから数年後、どういった技術が世の中に広まりそうなのかを先取りできるのはありがたいです。
もう一つは、バックグラウンドが異なる人たちとバランスよく会えることです。介護施設のお年寄りとお話をして、研究室では教授や学生たちと話していると、思考が凝り固まったり偏ったりせずに研究を進められます。
──現在、研究室ではどのような活動をしているのでしょうか。
登嶋:VR旅行は「作る過程」も面白いため、撮影を元気なお年寄り(アクティブシニア)に手伝ってもらうアイデアを温めています。最近は、スマホを持つ年齢層も広がり、カメラやアプリも身近になりました。歩数が記録できるヘルスケアアプリも人気になりましたよね。
各地域の元気な高齢者の方々に、VR旅行のための映像を撮影してもらえればと考えています。継続的な取り組みにする方法や、需給のマッチングをいかに促すかは、これからの研究課題です。
──『Pokémon GO』のようなアプリを楽しんだり、自分が旅行で訪れたりした先々で撮影して、それが人の役に立つなら嬉しいですね。
登嶋:他にも、VRを使ったアクティビティも開発しています。
一例として、「VR吹き矢」というゲームを作りました。リハビリテーションでは、呼吸機能が低下した方へ向けた運動として、吹き矢の効果が期待されています。ただ、実際にリアルで吹き矢をしようと思うと、十分なスペースや当てるための的など、大掛かりな用意が必要になりやすい課題があります。それを博士後期課程の佐々木智也さんに相談したのが始まりです。
ならば、VR空間上で擬似的に体験できれば、より実用的なリハビリテーションになるのではと考えました。仕組みとしては、表示された的をめがけて力いっぱい息を吹きます。呼気の強さをヘッドマウントディスプレイの内蔵マイクで検知し、それに合わせて矢の飛距離が変わります。
他にも、VR旅行などの体験を拡張させるものとして、棒状の触覚デバイス「LevioPole(レビオポール)」も研究しています。ヘッドマウントディスプレイと連動させることで、VRコンテンツに合わせた触覚をフィードバックできます。
VR上でカヤックを漕ぐアクティビティに用いると、LevioPoleがパドル代わりになります。LevioPoleの先端のローターユニットを動作させ、空気抵抗をつくることで、実際にパドルで水をかいているような抵抗感を表現できるのです。VRと組み合わせることで、よりカヤックに乗っている感覚に近づけます。
「ドローン映像によるVRアクティビティ」もLevioPoleを用いると、体験が大きく変わります。ドローンが離陸したり旋回したりするのに合わせて、LevioPoleのローターユニットが連動し、浮上や前進といった動作を表現します。まるでドローンにつかまって、空中散歩をしている体験ができます。
お年寄りも障がい者も、VRで可能性が広がる
──高齢者をはじめ、多くの人をサポートするなかで気づかれた、VRコンテンツを提供する意義があれば教えてください。
登嶋:VRは、お年寄りや障がい者が気軽にデジタルに触れるためのきっかけになってくれると思います。日常的に触れる機会が多くなれば、それらへの精神的なハードルも下がります。
一昨年、VR旅行のコンテンツ制作を手伝ってくれている女性の夫が、不幸にも亡くなってしまったのですが、コロナ禍で人を呼んでの葬儀も開けないと聞きました。そこで、研究開発中であった「ExLeap」を提案したら、快く引き受けてくれました。これは360度カメラとマイクスピーカーを用いたテレプレゼンス・システムなのですが普段からデジタルに触れてる人だからこそ、理解がスムーズだったのかなと。
──普段使っているものだからこそ、有事の時も活用しやすいと。
登嶋:そうですね。そういう意味では、Unityも元気なお年寄りや障がい者など多くの人に広がってほしいです。何かを作りたいと思った時やちょっとした困りごとがあった時に、「Unityで作れそう!」ってなれるので。
シニアにも向けたUnityを学べる場があったら面白そうだなと思います。年齢や趣味での繋がりも強いので、独自の視点で面白いアプリケーションができそうですよね。
自分のやりたいようなやり方で作ったり、誰かと繋がったり、いろいろな事が自分の手の中でできるようになれば大きな転換期になると思います。
個人的には、ヘッドマウントディスプレイではなくVRを見られるデバイスの登場に期待したいです。今は大きな弁当箱みたいな感じですが(笑)、「小さな窓」くらいになると可能性が将来的にもある。そこで閉鎖的な空間から外界を見せると、人にはどういった影響があるのかも、より研究してみたいですね。
介護サービスや支援など計画性の外にある、居心地のいい「わたしの居場所」をバーチャル世界に実現したいです。
(文・つじの結い/写真・木村文平)