愛媛県の地上波ローカルテレビ局「愛媛朝日テレビ」が、2020年から放送しているクイズ番組『レデイゴー!テレビちゃん。早押しライブQ』(以下、『テレビちゃん。』)では、テレビとスマホアプリを連携させ、テレビの新しい楽しみ方を提案している。
番組内のクイズに視聴者が専用スマホアプリから回答し、勝者には番組パートナーとして提携するドラッグストア「レデイ薬局」で商品がもらえるクーポンをプレゼントする。「クイズで勝ち取ったクーポンを持って、お店に行く体験が楽しい」と視聴者にも評判だ。
この番組で使用する専用アプリは、主にUnityを使って開発された。開発者は、愛媛朝日テレビで新規事業を担う「事業創造部」で技術開発を担当する黒河純氏。
ひとりでシステム開発を進めてきたという黒河氏。この新規事業をどのように立ち上げ、そこでUnityはどんな役割を果たしてきたのか。黒河氏の「ひとりDX」の過程を紐解く。
放送コンテンツのDX化に感じた可能性
──『テレビちゃん。』で視聴者が使用するアプリや、テレビ局内で使われているシステムは、黒河さんが開発して運用しているものもあるとお聞きしました。もともとは別のIT系の会社などで働いていたのでしょうか?
黒河:いえ、私は愛媛朝日テレビに2011年に新卒入社しています。大学では情報系を専攻しており、入社後は技術局で放送機器の保守管理をしていました。
──全然異なる領域を担当されていたんですね。なぜテレビ局を選んだのでしょうか?
黒河:実は僕は学生時代、プログラミングや電子工学的なものが好きではなかったんです。テレビ局に入社した理由は、そういったものを「やりたくなかった」から。どちらかといえば情報環境学、今でいうDXやネットワークに興味があったんです。
ただ、ITが盛り上がった2015年頃に、プログラミングに再挑戦する機会がありまして。弊社はテレビ朝日系列の放送局として地元の高校野球取材や中継に力を入れています。強力なコンテンツとして社内でも夏になると全社一丸となって取り組みます。
その中で、より情報を早く届ける方法はないかと検討した時に、アプリ化でよりリッチなコンテンツを届けられないか。それは地域密着型のローカル局としてはいい方法なのではないかと感じ、開発からローンチまで行いました。その時にアプリの利用率などの高さに驚き、放送コンテンツのDX化に可能性を感じて、改めて勉強しはじめました。
──それが現在のアプリや局内のITシステムの開発に繋がっているわけですね。
黒河:放送業界は堅牢なシステムがゆえにDX化が難しいんです。ただ2017年頃に、機材の更新時期となり取材データをすべてファイル化するタイミングがあり、その素材たちを管理するシステムをC#で開発しました。
すると、この施策が「日本民間放送連盟賞」で技術部門の優秀賞を受賞したんです。当時はちょうどシステムの移行期で、放送機器と番組台本をつくるシステム、データを残すアーカイブシステムなどがバラバラで、連携が中途半端になっていました。それらを管理するシステムを開発しDX化したことは大変光栄でした。
──そこから、どのように『テレビちゃん。』の立ち上げに至ったのですか?
黒河:愛媛朝日テレビ局内で新規事業開発をミッションとする「事業創造部」が発足されたんです。私は兼務という形で2018年に配属されました。
事業創造部のメンバーは別の部署の仕事をしながら、「テレビをイベント化するスマホ連動型アプリ」というコンセプトや収益化モデルなどを作り込んでいき、『テレビちゃん。』が立ち上がりました。私はアイデアを実装する役割として、アジャイルでコツコツ開発していきました。
──なぜ、外部業者を使わずにアプリを内製、かつ黒河さんひとりで作ったのでしょうか? テレビ局は決してお金が無いわけではありませんよね。
黒河:新規事業開発の部署である私たちの最終目標は、番組を作ることではなく、新しいテレビ局の収益化モデルを生み出すことです。したがって、全国にOEM展開できるアプリを作り、IT企業のようにシステム自体を販売することで利益を生み出そうとしています。
大きな目標を掲げそれまでのロードマップを決める中で、いかに早くプロトタイプを開発してPDCAを回していけるかと考えたときに、自社で運用するだけであれば開発する方が早いと感じて、実行に移しました。
──今あるリソースの中で開発を進めなければならない。だから黒河さんがひとりで開発することになったと。かなり大変な時期だったと思いますが、社内からの印象はどうでしたか?
黒河:2020年の5月から『テレビちゃん。早押しライブQ』という毎週夕方に生放送をする番組が立ち上がりました。その中で、スポンサーとのタイアップ企画が走り、地元の動物園や自治体などとコラボしながら検証を行うことで、社内の信用も得ていったと思います。これらはプロデューサーの檜垣が大変尽力しました。
私はそれに「アプリならこういうことができる」と商品訴求につながるところを提案していきました。そこには「開発する」という大きな壁がありますが、内製化しているので、できる範囲で最大限の提案が可能だったんです。柔軟な対応が今にも活きていると感じます。
ミニマムなシステム開発にも最適。Unityではじめる「ひとりDX」
──近年、テレビ局だけでなくさまざまな業界でDXや新規事業開発プロジェクトが試みられています。しかし、うまく立ち上がらないケースも非常に多い。その中でも、『テレビちゃん。』がうまくいった点は何だと思いますか。
黒河:いかに早く開発を進めることができるかということだと思います。「内製化がいい!」と考えたタイミングで実施できたことが、うまくいった要因のひとつだと感じます。
「事業創造部」のメンバーも兼務から始まっており、人的リソースも最小限に抑えていました。その点では、ひとりでも開発を進められるUnityの存在にはとても助けられました。
──Unityを開発ツールに選んだのはなぜでしたか?
黒河:まず、初心者でも独学で学習コストが低く開発を進められることです。C#を勉強したことで、Unityは自然と候補に上がりました。ただ、あまり触ったことがないツールを独学で使い、ローンチするまで不安を感じていましたが、Unityのサンプルやアセットを活用することで独自の開発を省略化でき、『テレビちゃん。』アプリとシステムの開発は、最終的に2ヶ月でMVP(※)まで進められました。Unityはネット上に記事やリファレンス、コミュニティが豊富にあり、わからないことがあっても、調べればすぐに解決できる環境が整っているからです。
(※MVP:Minimum Viable Product、必要最低限の価値を提供できるプロダクトを制作し、ユーザーニーズを検証しながら製品・サービスの開発を進める手法)
また、テレビ局の公式システムとしてクラウドまで含めた環境を設計する上で、公式SDKの存在は非常に魅力的でした。現在、『テレビちゃん。』のクラウドはGoogleのFirebaseを使っていますが、iOS、Android、Unityに専用SDKが揃えられているんです。私のように初めてUnityを触る人にとっては、こうした豊富な情報やサポートはとても心強いと感じました。
レガシーな産業がパートナー企業と協業するには
──ローカル局と地元企業が協力し、地域に恩恵をもたらす「エコシステム」を構築していることが『テレビちゃん。』の事例で素晴らしい点だと思います。こうした地元企業と一緒にプロジェクトを進めていくコツは何でしょうか?
黒河:レデイ薬局さんのようなパートナー企業と一緒に事業を進めるポイントは、「アジャイル開発」だと思います。私たちはテレビ局がシステム開発を内製化したことで、局内・パートナー企業・メーカー・視聴者の意見を取り入れながら、システムを最適な形へとスピード感を持って改修できるんです。
私たちテレビ局には、テレビ業界の歴史や文化、構造や力学があります。同様に、パートナー企業にも、その業界ならではの構造や力関係が存在している。その両方を理解して、ビジネスも含めたシステム全体の動きを設計できなければ、こうしたエコシステムの構築はなかなかうまくいきません。
レデイ薬局さんにしっかり向き合って業界理解を深めたことをアジャイルに落とし込めたことが、結果的にうまくいく要因になったと思います。
──他のテレビ局や企業も、同じような取り組みをするためには、どのような考え方や心持ちが必要でしょうか?
黒河:「最も重要なのはコミュニケーションである」という姿勢でしょう。たしかに私が独学でシステム開発を内製化できたのは、Unityというプラットフォームがあったおかげだと思います。しかし、ツールが出揃っているのであれば、その先の「何を作るか」はコミュニケーションの問題です。技術以上に「きちんと周囲の人と話して、相手のバックグラウンドを理解すること」が重要だと思うんです。
テレビ局だけでなく、レガシーな産業構造でのシステム開発において大切なのは、周りに相談しながら論理的に思考し、いかに最小工数で作り上げるかです。社内調整に時間がかかる、内製化で自分ひとりで作らなければいけない、兼務で別の仕事もしなければならない……そんな状態でも、「これはどうですか?」とステークホルダーに相談しながら正しいシステムの答えを模索すること。そのコミュニケーションへの姿勢が、たとえ「ひとりDX」であっても、最短距離での開発を可能にしてくれるはずです。
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